楓デザイン・一級建築士事務所 愛媛県東温市の建築設計事務所 

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建築士のこだわり

いざ、日本武道館!

以前、インターネットで応募していた
平成29年度 自衛隊音楽まつり
の抽選に当たりました!
来月の中旬に妻と二人で行く予定です、
東京は約7年振り。

競争率が今年は8倍近いという噂を耳にしていたので
ほとんど諦めていたのですが、
これも常日頃から自衛隊の皆様への
感謝の気持ちを抱き続けていた
「至誠」が実ったものだと思うしだいです。

会場は千代田区の日本武道館!・・・初めて訪れます。
もちろん、武道館の近くにある
靖国神社へも参拝してきます。

そして翌日は、世田谷区にある吉田松陰先生の
東京のお墓と東京の松陰神社を
訪れることにしています。

今日、10月27日は松陰先生の命日です。

至誠にして動かざる者未だ之れ有らざるなり。

平成29年10月27日 吉田松陰先生の命日に 河合優志

志を立てて、以って万事の源となす

先日、妻と二人旅で山口県:長州の萩を訪れました。
目的は、吉田松陰先生と高杉晋作の
墓前に手を合わせる事でした。

最初に松下村塾(世界遺産)を訪れ、
その敷地内にある松陰神社に拝礼し
同じく敷地内にある松陰神社宝物館「至誠館」へ。
入館料は500円程度だったんですけど、
1,000円以上払ってもあまりある程の
大変に貴重すぎる資料を拝む事ができました。

吉田松陰先生のお墓は市内の何処にありますか?
と至誠館の受付の女性に尋ねたところ、
すごく親切に地図まで頂いて説明して下さいました。
松下村塾の裏山の東光寺という
お寺のすぐそばに墓地はありました。

私は高杉晋作のお墓は
下関にしか無いと思っていたのですが、
吉田松陰のお墓のすぐ脇に
高杉晋作のお墓もありました。
ちなみに高杉の盟友であり、
同じ松下村塾の塾生だった久坂玄瑞のお墓も。

きちんとお線香が用意されてあり、
厳かな気持ちで墓前に手を合わせてきました。

萩で一泊、翌日は萩博物館を見学してから、
世界遺産・萩城下町を散策して
高杉晋作と桂小五郎(木戸孝允)の生家を訪れました。

私ら夫婦が萩博物館開館一番乗りだったんですけど、
博物館の学芸員さんが親切に
大きなスクリーンで
約10分間のムービーを観せて下さいました。
そして、古地図をみながら幕末の萩の様子とか、
それは熱心に説明して下さいました。

ブログタイトルの「志を立てて、以って万事の源となす」
は吉田松陰先生が
松下村塾で塾生に語っていた言葉らしいのですが、
現代風にすると
「何事も志がなければならない。
志を立てることが全ての源となる」
という事だそうです。

そういえば、大河ドラマの「花燃ゆ」の中でも結構、
この「志」という言葉が頻繁に
使われていました。
高杉晋作と久坂玄瑞が、もめている場面で吉田松陰先生が
「君達の志は何ですか?何を志ますか?」
と二人を諌めていたシーンがありました。

「志」・・・改めて思うと良い言葉ですよね。
私の名前にも志という字が入っているので、
普段あまりにも普通に使って麻痺していましたが
私の親は、大変良い名前を私に名付けてくれました。
感謝の気持ちで一杯です。

今の私に吉田松陰から「君は何を志していますか?」と、
もし尋ねられたら
恥ずかしながら即答する事ができません。

唯々、世の中の惰性に流されるがままに
生きてきた半生が恥ずかしいです、
これからの残りの人生、自分は何を志すか、
真剣に考えていかなければ。
模索していきます。

そんな事を考えさせられた、
凄く充実した旅でした。

2017年9月17日(日曜日) 河合優志

この世に生を受けた場所

今日は不肖ながら私の誕生日であります。
昭和43年の今日、私はこの世に生を受けました。

奇しくも世間ではいわゆるお盆休み、
という訳で生まれ故郷の宇和島に
母方の先祖の墓前に手を合わせた後、
ある場所を初めて訪れました。

市立宇和島病院(宇和島市御殿町)、
今の病棟は2009年に建て替えられたものですが
場所はまごう事なき同じ場所、
まさに私がこの世に生を受けた場所。

プライベイトでも仕事でも、
若い頃から何度も何度もこの近くには来ている
のですが「いつでも来れるだろうから」と。。。
それがいけなかった。。。

情けない事に、この年齢になって
初めて来ることが出来ました。
惜しむらくは旧病棟が解体される前に来てみたかったが、
時すでに遅し。

今現在、産科がある6階からは
宇和島城の天守閣の背中側が綺麗に見える、
昔は何階にあったのかな?
ナースステーションで看護婦さんに
訪ねてみようかと思いましたが
変な人かと思われたくないので聞きませんでした。

当時と比べると、城下の建物は随分と様変わりしたと
思うけど宇和島城だけは
今この瞬間に自分が見ているのと同じ佇まいだったはず。

写真を撮ってスマホの待ち受け画面にしました。

昭和43年の今日も、こんなに猛烈に暑い日だったのかな?
こんな暑い日に初産で母も大変だっただろうな。
当時はエアコンなんて多分なかっただろうから、
相当暑かっただろうな。
父は分娩中、この病院のどこかで
ソワソワしていたのだろうか。

今はもう亡くなった優しかったお婆ちゃんが、
男の子が生まれた!って
たいそう喜んでくれたらしい。
特に母は末っ子だったから、
お婆ちゃんの喜びも特に大きかったらしい。

そんな事考えると涙腺が緩みまくって、
帰りの車の中で旧宇和町くらいまで
涙が止まりませんでした
今日は一人旅で、家族同伴でなくて良かった。

今の自分は全てこの場所から始まり、
約半世紀を迎えようとしているけれど
純粋で綺麗で無垢だった赤子は、
大人になるにつれ随分と
色んな染みや垢や汚いものが着きまくってしまいました。

長渕剛の唄にありますが
♪ あぶく銭にうもれて一生 男なんか演(や)りたくねえ

一度しか無い人生、
今日の澄み渡った青空のように後悔のないように
残りの人生を生きて行こうと思います。
お母さん、僕を産んでくれて有難うございます。
そして素敵な名前をつけてくれた、
お父さんも有難うございます。

平成29年8月13日(日曜日) 河合優志

愚かなる 吾のことをも友とめづ人は わがとも友(ども)と

「愚かなる 吾のことをも
友とめづ人は わがとも友(ども)と めでよ人々」

安政の大獄で斬首される前の、吉田松陰先生の留魂録の中の言葉ですね。

現代風の言葉にすると
「こんな愚かな私の事を友と思ってくれる人が居るならば、
私の友も、私と同じように大事に大切にしてあげて下さい。」
概ね、このような意味だと思います。

私は、松下村塾の塾生を想っての気持ちではないかと
勝手に想像しています。

志半ばにして若くご逝去された
吉田松陰先生と高杉晋作先生のお墓参り
去年の夏に計画倒れになってしまったので
30年ぶりに、今夏こそは萩の町を訪れようかと。

今日も仕事をさせていただいけた全ての万物に感謝。

2017_6_28 @河合優志